長年、美少女ゲーム業界に関わって、多大な影響を与えてきたキーマンを足跡をたどる「PRESIDENT VOICE」。 第一回目は(株)ネクストンの鈴木昭彦氏。 BaseSonをはじめとする様々なブランドで20年以上活動を続けている老舗会社の社長であり、またコンピュータソフトウエア倫理機構の理事長を10年以上務めるている人物だ。 時代に合わせる展開から業界を牽引していく展開まで、鈴木氏の活動を振り返るとともに、美少女ゲーム業界の変遷をたどっていく。

主な経歴、主要作品の発売年

  • 1982年 加賀電子株式会社入社
  • 1993年 株式会社ネクストン設立
  • 1997年 『同棲』発売
  • 1998年 『ONE ~輝く季節へ~』発売
  • 2002年 『ONE2 ~永遠の約束~』発売
  • 2004年 コンピュータソフトウエア倫理機構、理事長就任
  • 2007年 『恋姫†無双』発売
  • 2008年 『真・恋姫†無双』発売
  • 2015年 『恋姫†夢想~英雄烈伝~』開始

BaseSonやLiquid、あざらしそふと等、多数のブランドを擁してきた(株)ネクストン。 90年代には"泣きゲー"という言葉を作りだした『ONE ~輝く季節へ~』(tactics)をリリースし、2000年代後半には歴史上の人物を女性化し圧倒的なボリュームで"人気IP"の地位を確立した『恋姫†夢想』(BaseSon)シリーズを展開。また、鈴木代表取締役は、コンピュータソフトウエア倫理機構の理事長を約12年勤めている。
美少女ゲーム業界にとって、最も影響を与えてきた会社といえるが、同時に"堅実"な会社経営もあり、実績に比例する"話題性"の少ない会社でもある。20数年にわたる同社の歴史、そして鈴木氏の活動は、美少女ゲーム業界の歴史を振り返るにふさわしいと考え、本インタビュー企画の第1回にご登場いただいた。

メーカーになる予定はなかった

取材にご協力いただいた鈴木氏。(株)ネクストンは24期目を向かえ、ソフ倫の理事長に就任してからは約12年になる。

―――加賀電子で約10年勤務したのち独立されて(株)ネクストンを設立されますが、その経緯をお聞かせください。

鈴木(敬称略/以下同) 大学時代から「将来は社長になりたい」って思ってたんですよ。歌手やプロ野球選手になりたいって気持ちと同じような感覚ですけどね。お金持ちになりたいけど、芸能人とかになる才能はなさそうなので、だったら社長を目指そうと、おぼろげに考えていたんです。

―――ジャンル問わず「社長」になろうと。

鈴木 アホな発想だなと思いますよ(笑)。卒業後は加賀電子に入社しましたが、新人の頃から良い会社に入ったなと思ってましたね。6年間関東勤務のあとに大阪に移って5年。そこから独立した訳です。1993年2月24日のことです

―――加賀電子はゲームと関係ある会社だったのですか。

鈴木 ゲームというより半導体、エレクトロニクス部品を卸す会社です。実はカプコンとの事業を開拓したのは僕なんですよ。今のような大企業ではなく、設立したばかりだから上手くいかないところもいくつかあって。現在は会長を務めているカプコンの創業者・辻本さんには良くお世話になっていますが、当時は新宿に開発部署があって、営業で部品を納入したり、自分の車に辻本さんを乗せて新宿駅まで行ったりしましたね。こういった経験を元に、自分が独立したときはゲームビジネスをやろうとイメージしていました。

―――なるほど。

鈴木 とはいえ、メーカーになろうとは思わなかったんですよ。当時、長崎にあるゲーム会社が業務用のゲームを作ろうという話になって。じゃあコネクションもノウハウもありますし自分が売りますよと。そこから始まったのですが、1作も出さないうちにその会社がなくなってしまって。独立時に想定していたビジネスが全部なくなってしまったんです。ただ、その頃に入ってきた最初の社員はパチスロの解析ができ、プログラムを組める人だったんですね。今でも覚えていますが、最初に作ったのは3DO(※1)のパチスロゲームでした。当時はパチンコ等のシミュレータも流行っていましたから。

(※1)…松下電器が開発したコンシューマゲーム機。日本では1994年に発売。

「目が死んでる」ヒロイン

―――同じような時期に美少女ゲームの開発も始めますが、これも当時盛り上がりつつあったPCゲームの状況を見てですか?

鈴木 いや、まったく関係ないです。どんな事業をするべきかもわからない時期で、美少女ゲームをたくさん買っている社員がいたので、とりあえず彼に作らせみたのですが、まあ売れませんでしたね。

―――(笑)。

鈴木 思い出すのは、なんで売れなかったというより、よくこんなゲーム出したなと。知らないということは恐ろしいなとつくづく思いますよ。最初にヴューズ(※2)さんに持っていったときに、「こんなの売れると思ってるんですか」と怒られましたから。「ヒロインの目が死んでますよ」って言われて、改めて見たら確かに死んでると(笑)。元のゲームが手元にないので確認できないんだけど、その時の記憶は鮮明に残ってますね。

―――美少女ゲームのレビューって色々ありますけど、「ヒロインの目が死んでる」はなかなか見ないですねえ(笑)。それでもゲーム開発は続ける訳ですけど、それはどのような理由があったのですか。

鈴木 他にやることが見つからなかったのと、当時はWindows3.1が普及し始めた時期で、CGもフルカラーが使えるようになったんですよ。PCも普及するし絵もそれなりになるからと、続けていましたね。売れなかったけど。その頃はエルフさんやF&Cさんが全盛期で、16色(※3)でもウチのフルカラーよりも綺麗だったからねえ。

―――あのCG技術は凄かったです。

鈴木 空の上にいる存在だったよね。自分とキムタクみたいな、比較するのもおこがましい、生涯かかっても追いつけない、それぐらいの差を感じていました。

―――当時は自分もユーザーでしたけど、あの頃は存在感がありました。

鈴木 まあでも、今になってみると経営は僕の方が上だったね。

―――(笑)。

(※2)…流通会社。PCゲームの販売を幅広く手がける。

(※3)…当時主流だったPC98で同時に使えるのは16色。美少女ゲームのトップメーカーは、その制限を感じさせない綺麗なCGを描いていた。

「5人だけでやらせてください」と言ってきた

鈴木 売れないなりに続けてきたけど、その頃にパチスロのシミュレーターがプレステやサターンでリリースできるようになった。こっちに集中して美少女ゲームを止めようと社内で告知したんです。そうしたら社員のうち5人がやってきて、「この5人だけでやらせてください」と。それがTacticsなんです。

―――ここで伝説のブランドが。

鈴木 「やりたいという気持ちがあるんだしやらせるか、売れないけど…」というのがその時の正直な気持ちでした。そうやって出来たのが『同棲』ですが、初めて売れたんですよ。『ToHeart』(※4)と同時発売だったんですけど、レジに並んでる人が皆『ToHeart』をもってるなか、何人かに一人は『同棲』も持っている。これを見たときは本当に感動しましたね。メーカーの人間が言うのもなんだけど、それまでは買っている人がいるのか、実感がなかったから。

―――手ごたえがなかったんですね。

鈴木 おそらく商品の半分くらいは倉庫に眠ったままで廃棄されてたんじゃないかな。ただでさえ少ないのに。だからこの事業始めて24期になるけど、社員以外でこの頃のゲーム遊んだって人に会ったことないんですよ。もしいたらご馳走したいね(笑)。

―――『同棲』以降はセールスも安定していきます。

鈴木 次が『MOON』。これは作品がちょっと暗めだったからか『同棲』ほどは売れなかった、勿論、採算ラインのはるか上の数字でしたよ。当時は5~6人で半年で開発していたので、そりゃ会社は儲かります。あとこの頃から人も入ってきて、いわゆるKeyのメンバー、麻枝くんや折戸くんが入ってきた。彼らが『ONE』を作る訳ですね。

(※4)…1997年、Leafから発売。大ヒットを記録するだけでなく、コンシューマ版やアニメ化など多メディアでも成功。美少女ゲーム業界のみならず、オタクコンテンツ全体にも影響を与えた。

驚きの連続だった『ONE』

ブランド初期を懐かしそうに語る。大手メーカーとなった今からは想像もつかない話題の連続で取材も笑いの連続だった。

―――最初に企画書を見たときはどう思われましたか。

鈴木 こんなの売れるのかよと。

―――(笑)

鈴木 ヒロインがクセのある子ばかりだし。魅力的なかわいい女の子の存在が美少女ゲームの売りなのに、ハンディキャップ持ちの子とか、どうなんだと。

―――でもその企画内容通りにリリースされますよね。ネットで見たのですが、最初は『ToHeart』のようなゲーム内容にしろと指示したとか?

鈴木 当時売れてる作品だしね。でも似ているところって、いわゆる普通の人間的じゃないという意味で、マルチ(※5)の要素だけだろうと。本当に大丈夫かなって思ってましたよ。しかも初回特典に時計をつけると言い出して。置時計として使えるパッケージなんだけど、最小ロットが1万本。『同棲』は1万本以上売れてたけど『MOON』は7000本くらいだったから、本当にどうしようかなと。ところが発売したら、あっという間に売れちゃって。

―――口コミで広まった印象があるのですが、最初から勢いがあったんですね。

鈴木 時計付のはもう作れないから通常版に切り替えたんだけど、次々に売れていって「これが美少女ゲームが売れるというやつか!」と。累計で4~5万本はいったのかな。それで『ONE』のメンバーが次の企画をもってくるんだけど、このあとですよ、社内が揉めだしたのは。

―――はい。

鈴木 リーダー以外のメンバーが僕を呼ぶんですね、全員で7人だったから6人が。それで何を言うのかと思ったら「リーダーは僕らのやる気を失わせるばかりです、会社を辞めてビジュアルアーツさんにいきます」と。まあリーダーも不器用な人間だったんですね。問題の一つはスケジュールで、麻枝くんとかがシナリオを何回もやり直す。それで開発が遅れ気味になるんだけど、リーダーとしては一人のシナリオの満足度だけでチーム全体を遅らせるわけにはいかない。その考えは妥当なんですけど、その言い方がだんだん厳しくなっていって……。それで他のメンバーも麻枝くんについていくことになってしまったんです。

(※5)…『ToHeart』の人気ヒロイン。家庭向けメイドロボットとして開発されたアンドロイドだが、人間のような反応を見せる。こちらも後のコンテンツに影響が見受けられるヒロインだ。

会社の方向性が定まる契機に

―――ユーザーとしても移籍はインパクトがありました。

鈴木 あの頃は僕も若かったけど、ちょっと許せないなと思ったのは、リーダーが「開発から疲れているとの声があるので、平日に二日間休みください」と。「問題ないよ」と快く休みをあげたら、その二日間にビジュアルアーツさんに行ってる。勿論、今思えは自分の会社が悪いんだけど、当時は土日じゃなくて平日に他会社の社員を受け入れるってどうなんだと、凄く憤慨しましたね。

―――ビジュアルアーツの馬場社長が「アキバblog」(※6)で当時を振り返って、謝りの電話をしたと書いています。

鈴木 謝りの電話もあったし、謝罪に会いに来ましたよ。彼はそういうところは、きちっとしています、スタッフの管理とかもね。むしろ僕がそういう管理をリーダーに任せていたことで起きた問題でもありますし。結果として考えるとビジュアルアーツさんに行くことでkeyという素晴らしいブランドができたし、僕らもカリスマクリエイターに頼らない、例えば原画に人気があってもその原画の力だけに頼らず、みんなでゲームを作っていく方針を確立した。それが『恋姫†無双』にもつながったんです。

―――会社の方向性を確立できたんですね。

鈴木 「彼らが残っていたら?」とは、たまに思うことがありました。開発が延びて新作が出なかったら売上も出ないし、一方で彼らも経験を重ねていく。そこで自分との葛藤も起きたかもしれません。そういった問題も起きずに「自分の会社はこうだ」と追求することができた。今もカリスマまではいかなくとも知名度のあるスタッフはいるけど、いっさい特別扱いしないし、それは本人達もわかっていると思います。当時としてはマイナスな出来事だったけど、今となっては会社としても良い方向に進むことができました。

(※6)…秋葉原の某ショップ元店長が、アキバ系のニュースをお伝えする人気サイト。アキバ系な著名人のコラムも不定期連載されており、馬場氏は2011~2013年を中心に連載。